『テスト最終日』

テスト最終日。最後の二科目の一つ目を終え休み時間に突入すると、生徒たちは休む素振りを全く見せずに残り一つ、最後の科目のテスト勉強に集中する。残り僅かな時間に、少しでも多く頭の中に詰め込もうとみんな必死なのだ。

明らかに体調が優れないとすぐに分かる、いつもにも増してよろしくない顔色の九条沙々羅も、ぎこちない動作で鞄の中から教科書とノートを取り出す。こうして座っている今も気分が悪く、少しでも動くと込み上げて来るんじゃないかと不安になってぎこちなくなっているのだ。

その様子を後ろの席で見ていた桐華は、沙々羅に声をかける。

「大丈夫?」

後ろを振り向くと、沙々羅はとてもじゃないが大丈夫そうには見えない顔色で「うん……後、ひとつだから、頑張る」と弱々しく答えた。

そう言われては無理に保健室に連れて行くことも出来ない。ましてや、今はテスト中だ。通常の授業とは、その時間を休んだときの『重み』が全然違う。

「そう……それなら、いいけど……でも無理は駄目よ」

結局、そう言うしかなかった。

「うん。……ありがとう」

沙々羅は弱々しく、それでも桐華の気遣いが嬉しくて小さく微笑む。だが、桐華にはその微笑みが余計に痛々しく感じられた。桐華は、なんとか後一時間、沙々羅の身に何事もなくあって欲しいと願った。

沙々羅は前を向くと、教科書とノートを開いて最後の詰め込み作業──と行きたいところだが、吐き気が強くて全く集中出来ない。

テストの時はいつもこうだ。テスト勉強のストレス。良い点数を取ることへのプレッシャー。そして、勉強時間の増加と相反していつもより短くなる睡眠時間。その結果、テスト期間中はテストとの戦いであると共に、体調不良との戦いでもあった。

視線はまっすぐと教科書とノートに向けられているが、沙々羅の頭の中はもし吐いてしまったら? と余計な想像が何度も浮かび上がって来るばかりだ。

結局、最後の詰め込み作業はほとんど成果も無いまま、休み時間を終えてしまう。

問題用紙と答案用紙が配布されると、チャイムが鳴りテストが始まる。

沙々羅は少しでも早く終えようと、いつもよりも速いペースで問題を解いて行く。

だが、そのペースは十分ほどでがくんと落ちる。それまで、多少弱まっていた吐き気が急速に強くなってきたのだ。

沙々羅は左手でそっとお腹をさすり、吐き気を堪えながら懸命に問題を解き続ける。

だが──

「……っ!?」

不意に、喉元まで胃の内容物が迫り上がってきた。沙々羅は、少し苦しそうに表情を歪め、それでもなんとか押しとどめて、飲み込む。胸のあたりには嫌な温かさが残り、口の中に酸っぱさが広がる。

いよいよ吐き気は極限を迎えつつあった。

テストが終わっていれば、今すぐにでも教室を後にしてトイレに飛び込みたい心境だが、答案用紙はまだ半分ほどしか埋まっていない。更に問題を解くペース自体、遅くなる一方だった。

ペースダウンは、まるで嘔吐へのカウントダウンのようだ。着実に、一歩一歩、その時に向かって緩やかになって行く。そして、答案用紙の上をのろのろと走っていたシャーペンの動きが、ぴたりと止まった。

そしてついに沙々羅の胃が限界を越える。まず、最初に先兵とも言える熱いひとつの塊が喉を越えて口の中に侵攻してきた。

「うぶっ、ぐっ……」

咄嗟に手で口を押さえる沙々羅だが、その量は沙々羅の口内に収まりきらず、僅かではあるが唇の隙間から漏れだして、ポタポタと机と答案用紙の上にこぼれ落ちた。なんとか、それを押し戻そうとする沙々羅。だが、本隊が間髪入れずに襲いかかる。先ほどよりもはるかに大量の胃の内容物が熱い塊となって、胃から上方へと勢いよく駆け上る。

あまりの勢いに、手で口を押さえていては周りに飛び散ると思い、慌てて手を離した。だが、そこまでだった。目の前に広がる答案用紙の上にもどしてはいけない、と思うが、身体の方は思考に追いつかない。

そして、次の瞬間。

沙々羅の口から限界を越えて溢れ出した胃の内容物が、机の上にぶちまけられた。

「うっ、げええええぇぇぇぇ!!!!」

ビチャビチャと机の上に飛び散った沙々羅の吐瀉物は、机の上の答案用紙や問題用紙も飲み込み机全体に広がっていく。

それまで、シャーペンが答案用紙の上を走る音だけが支配していた教室。その中に紛れ込んだ、沙々羅の苦しげな声と吐瀉物が机に当たる音が響き、シャーペンの音はぴたりと止み、教室内は騒然とした空気に包まれる。

「みんな静かに!」

監督教師が声を大きく、そう告げると教室は水を打ったように静かになる。思わず、立ち上がって沙々羅の介抱に向かおうとした桐華も、テスト中にみだりに立ち歩いてはいけないと気づき、浮かした腰を座席に下ろす。

一方、沙々羅は周りのそんな様子を気にする余裕もなかった。

「はぁ……はぁ……はぁ、っ!」

まだ消え去ることのない吐き気。それは次なる嘔吐の予兆。

「うえっ……おぶえぇっ!!」

先ほどの半分ぐらいの量の吐瀉物が沙々羅の口から再び吐き出された。

既に机の上に広がっている吐瀉物の上に降り積もり、その質量に押し出されて吐瀉物の海は大きく広がる。その一部は机から溢れ出て、ピチャピチャと床に落ち、沙々羅のスカートにも染みを作った。

更にもう一度。

「っ……はぁ……げぶっ、ごほっ、げほっ」

絞り出すように吐き出された最後の一塊に沙々羅は苦しくなって激しく咳き込んだ。

「はぁ……はぁ……」

苦しさと、恥ずかしさから目元には涙がにじむ。どうして、こんな時に我慢出来なかったのだろう? と思う。だが、目の前の惨状が現実なのだ。答案用紙はすっかり吐瀉物に埋もれている。おそらく採点なんて出来ないだろう。

「九条さん、大丈夫?」

傍に来た監督教師は優しくそう問いかける。

「せん……せぃ……」

「保健室に行きましょう。九条さん、立てる?」

促され、沙々羅はのろのろと立ち上がる。監督教師に付き添われ、教室の出口に向かう。教室の外で、見回りをしていた教師が騒ぎを聞きつけて来ていた。監督教師は教室を離れるわけにいかないので、その見回りをしていた教師に付き添われて沙々羅は保健室へと向かった。

保健室に向かう間は吐き気もすっかりと治まったかに思えた。だが、保健室に到着し、汚れを取る為にスカートを脱いでベッドに横になると再び強い吐き気に襲われた。

それまでの嘔吐とは違う、テスト中に吐いてしまったという精神的なショックによるものだ。

先ほど吐き尽くした沙々羅は吐くものもなく、養護教諭の和泉璃伽に背中をさすられながら、洗面器に顔を突っ込むようにしてしばらくの間、ゲェゲェと吐き続けた。

そして、沙々羅が落ち着いた頃にはテスト終わっていた。